王様専用の場所だからこそ、この薬草園は立ち入り禁止になっていたのね。でも、さっき話した老兵士さんは王族用だなんて言ってなかったけど。

「あ、あの、入り込んですみませんでした!」

あたしはあわててお辞儀をすると、くるりと振り向いてそのまま逃げ出した。

背後で呼び止めている声がしていたんだけど、これ以上ここにいたらどんなお咎めがあるか分からないじゃないの。ここはつかまらないうちにさっさと逃げておかなくちゃ。部屋に逃げ込んでしまえば、あとは知らぬ存ぜぬでごまかしちゃえば・・・・・大丈夫よね?

でも、ドレスの裾をちゃんと持ち上げて走らなかったせいで、つま先にひっかけたなと思ったとたん、すってんころり。

「うぎゃっ!」

う〜、なんてかっこ悪い。鼻打っちゃった。

あっ、ドレス!裾めくれてたりしないわよね?それってレディとして大問題!・・・・・・・・・・ほっ。

「大丈夫?怪我しなかった?」

「だ、大丈夫ですわ。ご心配なさらないでくださいな」

その人は急いで近寄ってきて手を差し伸べてくれた。少し声に笑いが含まれているみたいだったけど、手のやさしさは本物。あたしは手についた土をドレスでぬぐうと、恐る恐る差し出された手につかまって立ち上がった。あたたかくてしっかりとした手だった。

「丁寧な言葉は使わなくてもいいよ。僕の名はユーキというんだ。ここの薬草園の管理を任されているんだよ。君の名は?」

名前しか言わないの?姓はない?てっきり貴族だと思っていたのに、平民だったのかしら。

「大丈夫、お咎めを受けないように黙っていてあげるから、安心してこたえて」

あたしがためらっている理由に気が付かれてしまった。

「あ、あたし、じゃなくて、わたしの名前はモエ・メアリ・ハリエット言います」

「もしかして君は、ケイ・・・・・じゃなくて、王様の花嫁候補としてやってきた姫君のひとりなのかな?」

「わたしの一族はそれほど身分が高くないから、花嫁っていうよりも愛妾候補じゃないかと思いますけど、いちおうその一人です。でも、ここに来たのはそれが目的じゃありません。わたしは花嫁になる気はもちろん、愛妾になる気もまったくありませんから」

「・・・・・そうなの?」

「ええ、あたしの夢は、母様のような療法師。薬草のことをいろいろと学びたくて、今回はロンディウムに行けるラッキーなチャンスだと思って自分から名乗り出てここにやってきたんです。そうじゃなくちゃ、荘園から出られるなんてできませんでしたから!」

「へえ、それはいいことだね」

あたしの前にあらわれたその男の人は、そう言ってやさしく笑ってくれた。

「わたしの夢は小さな荘園を持っている人にプロポーズされて、幸せに暮らすことなんです。そこで療法師として家族や領民たちを助けることが出来ればいいなって思っているんですよ。だから王様の愛妾を勤める気も妃になる気もさらさらありません」

きっと彼の綺麗な笑顔のせいだったと思うわ。

まるで教会で懺悔するときのように、あたしは初めて会ったばかりのその人に、自分の望みやここに来た本当の目的を全部ぺらぺらと話していたんだから。

「そう、それでロンディウムに・・・・・。それで、療法師になるために、何か伝手は持っているの?」

「あー・・・・・・・・・・ない、です」

あたしは渋々答えた。

ロンディウムに行けるってことに浮かれていて、そこに行くことが出来れば何とかなる気がしてた。ここに来てからどこに行って誰に頼めば薬草のことを教えてもらえるかなんて、まるっきり考えてもいなかったんだから。

考えたところで伝手なんかなかったわよね。

「そうか・・・・・。で、きみはここにはいつごろまで滞在できるの?」

「・・・・・たぶん、一ヶ月はない、と思います」

そのことも考えてなかった。そうよね、あたしがここに来たのは王の気を惹くために一族を代表する女性として連れて来られたんだから、そんなに長くいられるはずはないんだわ。王様があたしたちに関心を示して引き止めてくれるならずーっとここにいられるだろうけど、さっきの王様の様子ではそんなことはなさそうだし、あたし自身としても王様にそんなことをされちゃ困るし。

あたしは自分の計画がずさんすぎたことにようやく気がついて、がっくりと肩を落とした。

ここに来ることさえ出来れば薬草のことはすぐに教えてもらえて、ロンディウムを立ち去るときには薬草の知識をすべて持ち帰れる気になっていたんだもの。
でも、この薬草園にある、たくさんの薬草の種類を見ていればよくわかる。少しの時間ですべてを知ることなんて、出来そうもない。

「それじゃあ、城の療法師に師事して薬草や治療のことを学んでいる時間はないね。彼は弟子を多くはとらないし、とるとしても何年も手元において厳しく修行させているから」

彼は困ったように言った。

そうなると、あたしはロンディウムに来ていても何も学ぶことは出来なくて、むなしく帰るしかないってわけなのよね。

「・・・・・お邪魔しました」

あたしはしょんぼりとなりながら、薬草園を出て行こうとした。

「ねえ、モエ。もし君さえよければ、僕が少しくらいなら教えてあげられると思うんだけど」

えっ!?

あたしはあまりにも間抜けな顔をしていたらしく、彼は苦笑しながら言ったわ。

「僕は正式に教えてもらったわけではないけど、薬草のことならかなり詳しいし、君にそれほど時間がないというのなら、戻ったときに役に立ちそうなことだけを抜き出して教えることも出来ると思うよ」

「あ、ありがとうございます!ぜひそうさせてください!!」

あたしはすぐさまお願いした。こんなラッキーなことがあってもいいものかしら?

あとになってこのときの事を思い返してみるたびに、あたしは自分の無鉄砲さと猪突猛進さに苦笑してしまうことになった。いくら薬草のことが知りたかったからといって、見ず知らずの人の提案を即座に受け入れるなんて。

乳母はロンディウムに行ったなら、親切そうに声をかけてくる男にはくれぐれも注意しなさいと口をすっぱくして言っていたけど、このひとが女を、特にあたしみたいな小娘をたぶらかすようなことをするはずがないって頭から信じちゃったのよね。まああたしに何かしてもたいして利益もないものね。

「それじゃあ明日からは昼過ぎにここにおいで。来られる?」

「はいっ!!」

やったぁ〜!

明日からのあたしにはやることがない。王様自身が集められてきた娘たちに興味がないのだから、あとはロンディウムを見物したり買い物をするくらいしかやることはないもの。一緒に荘園からやってきた家司たちは羊たちや穀物の取引のことで忙しいだろうけど。

あ、姉様たちへのお土産は絶対に忘れちゃいけないわね。

とにかく、ここに来ることには問題はないはず。

「じゃあ門番には君がここに来るってことを言っておくから。今度は門から入っておいで」

「・・・・・はい」

あたしは真っ赤になった。ユーキはあたしがどうやってこの薬草園に入ってきたのかわかっちゃってたわけね。

「あー、それから明日からはこの時間に来てはいけないよ。王様がここにお出ましになる時間なんだ。今日は用事があったから遅いんじゃないかと思うけど・・・・・。でもケイが来るのはそろそろかな」

後半は彼の口の中でほとんどつぶやかれていた独り言みたいだった。

「ケイ?」

「あ、い、いや。とにかくもう今日は帰りなさい。そろそろ午餐の時間だと思うよ。今夜は君たちを歓迎するための宴会があるはずだろう?」

「あ、そうだった!どうもありがとう。明日必ず来ますね!」

あたしは午餐だという言葉にぎょっとなった。乳母はお腹がすくとぶつぶつと小言が止まらなくなってしまうやっかいな癖がある。へそを曲げられたりしたら明日ここに来られるかどうかもわからなくなってしまう。

あたしはユーキについて薬草園の門を出て行くのと、反対側の城からの入り口の方から背の高い人影が入ってくるのが見えるのとは、ほとんど同時だった。

「もしかして、あれは王様・・・・・?」

うわっ!まずいじゃない。ここは王様の薬草園なんだから、部外者のあたしが入り込んでいるのを見咎められたら、気分次第で牢屋に放り込まれてもおかしくないわ。

大あわてでもと来た道を急いで走り戻って、なんとか自分たちの部屋へとたどり着いた。

途中少し道に迷いかけて、宴会へ出かけるのに遅刻しそうになったけど、まあ、なんとか。

部屋に戻ると、やっぱり乳母の小言が待ち構えていた。時間が押していたということで、急いであたしの着替えを手伝いながらも口はぺらぺらと止まらない。

あたしはおとなしく小言が頭上を通り過ぎていくのをじっとこらえていた。ここで口答えなと゛しようものなら、もっと大きな叱責が飛んでくるのがわかっていたから。もし外出禁止なんて言い出されたらそれこそ大問題だし。

乳母はあたしが黙っておとなしくしているので満足したのか、それともお腹が空いたので早めに小言を切り上げることにしたのか、そんなに時間をかけずに口を閉じると、着替えを終わらせて、王様からの歓迎の午餐の場所へと送り出してくれた、先ほどの王様との謁見と同様に気合の入ったドレスで、だ。無駄だと思うけどね。

乳母たちはお客じゃない。召使ということになるから、あたしと同じ場所では食べられない。別に用意されているから、あたしだけが王様の午餐会に行くことになっている。

やがてやってきた迎えの人に連れられて会場へと行くことになった。

あたしは城の入り口でえらそうな顔をした儀礼係に引き渡され、宴会の場所に案内されて、ここに連れてこられた他の娘たちと一緒の席に座らされた。少しは会話をしなきゃいけないかと思っていたのに、あたしのような小貴族の一族の娘は無視するつもりなのか、それとも互いがライバルだと思っているのか、誰も話しかけてはこなかった。

娘たちの何人かはあたしよりずっと前からロンディウムに来ていたらしいから、ここにいる間に親しくなったのかも、それとも以前からの知り合いだったのか、顔をくっつけるようにしてひそひそとしゃべっていた。

まるでおしゃべりな雀たちが群がってさえずっているかのように。

でもそれも上座に次々と大貴族らしい人たちが入ってくるまでのこと。誰もおしゃべりをやめてすまし顔になって、少し緊張した雰囲気の中で王様が置くから現れて席に着くのを待っていた。

いっせいに席についていた者たちが立ち上がる。あたしもあわてて席を立った。

王様のお出ましだ。

まわりにいる人たちよりもひときわ背が高く、姿の良い王様がゆっくりと入ってくる。そして、その背後にもう一人続いて入ってくる。周囲の人たちが小さくざわめいていた。

それは招かれた娘たちも同じこと。むしろ王様や貴族の方々にも遠慮がないって言うか、怖いもの知らずというか。少し離れた席に居るあたしまではっきり聞こえるようにしゃべってた。

「ほら、あの人よ。例の王様の愛妾っていう人」

「へぇ?あの人がねぇ・・・・・」

「普段はこんな公の場には出てこないっていうから、姿を見た人は少ないらしいけど」

「やっぱり身分が低いから出せないんでしょう。でも今日あたしたちの前に出てきたのはどういうわけ?」

「彼は旅の楽師だったんですって?食べ物に事欠くとからだを売ってしのいできたっていう話よ。ここに来たのも王様に取り入って安楽な暮らしがしたかったって聞いたわ」

「小さいときから媚を売って暮らす生活をしかしてないんですって。閨での技と人の心をそらさない話し方で王様を虜にしたらしいわ。きっとベッドではすごいんでしょうねぇ!」

「しっ!ちょっと人に聞かれたら、その言葉ははしたないわよ」

隣にいる女の子たちにとっては、彼は憎むべきライバルってことになるのね。あたしにとっては無関係な話だけど。

でも、どんな人なのかは興味があったから見つめていた。その人はだんだんこちらに近づいてきて照明用の灯りに照らされて顔が見えてくる。王様の後ろから入ってきたのは、さっきあたしに薬草のことを教えてくれると言ってくれた、


あの、ユーキという人だった!




「あの人がケイ王様の愛妾のユーキよ!」

午餐(一日のうちの第2食=夕食)の席で隣の女の子たちがささやいていた言葉。

あたしはぽかんと口を開けたまま、さっき薬草園で知り合った男の人の顔を見つめていた。彼の方もあたしのことに気がついたみたいで、ちらりとこちらを見て一瞬困った顔をしていたけど、王様に何か言われたのか、すぐにそちらに向き直ってもう二度とこちらに視線を向けることはしなかった。

あたしはその晩の食事に何が出ていたのか、ちっとも覚えていない。きっと遠路をやってきたあたしたち女性(花嫁?愛妾?候補)をもてなすために料理長が腕を振るった料理が出ていたはずなのに。
うう、もったいない!きっと我が家では食べられないようなごちそうだったはずよね。

それにしても、よくもうわの空でいたのに、礼儀作法を忘れずに食事を済ませられたものだと思うわ!

午餐の後、食べ残しは片付けられて席を隣の広間へと移動すると、ケイ王様はすぐ隣に座らせていたユーキの方を向いて言った。それはあたしたちの謁見のときに見せていたような不機嫌さはみじんもない、とろけるようなやさしい笑顔で。

「ユーキ、君のリラを弾いてもらえませんか?」

「はい、喜んで」

彼は目を伏せてそう答えると、召使に別室から楽器を持ってこさせた。あたしはその楽器を見るのは初めてだった。木で出来ているらしい綺麗な飴色の楽器を顎に挟むと、弓を構えて弓で弦を弾きはじめた。

なんて甘くて切ない調べ。なんて綺麗な音の連なり。

もしかしたら貴族たちが彼の演奏に抗議するかと思ったけど、どうやらみんなが楽しみにしていたらしい。せきばらいや椅子の音で静けさを乱すようなこともなく、誰もがうっとりと美しい音楽に魅了されていた。

あたしもその音色に魅了されていたけれど、まわりの女の子たちにはさほど感銘を受けなかった人もいたみたい。演奏中にあくびをかみ殺していたようだったから。

あの子たちの興味のあるものって、きっと男の人の気を惹くことぐらいじゃないかしらね。ちょっと意地の悪いことを考えてしまった。だって、さっきユーキの悪口を楽しそうに言っていた人だったから。

最後に聞いたことがない楽しい小曲を演奏し終わると、ユーキはリラを肩から下ろしてお辞儀をすると、そのまま退場していってこちらに戻っては来なかった。

「ああ、久しぶりに彼の音を聞けましたね。やはりすばらしい!」

「王様も出し惜しみせずに彼をもっと頻繁に宴の場に出せばよろしいのに。手元に囲い込んだりするとは、もったいないことだ」

「ほんとうに、秘蔵されていますからねぇ」

「こういうときだけ彼を外に出されるのですな。今回もあれでしょう。花嫁だか愛妾だかを押し付けようとしてきた老臣に向けて当てつけてみせるという理由で。言葉にすれば『お前たちはこれほどの相手を超える候補を見つけて来られるのか』と言いたいのしょうよ」

そんな貴族たちのささやきが聞こえた。へぇ?ユーキが演奏するのってそんなに珍しいわけ?

そこへ宮廷楽師たちが呼ばれたようで、部屋の奥から楽器を持った人たちが入ってきた。これからみんなでダンスをするんだわ。

始められたのは軽快なラウンドダンスの曲。それを聞くとまわりの人々はそわそわとしはじめ、パートナーの手を取って王様が立ち上がるのを待っていた。

最初のダンスは王様が始めるのがきまり。王様も礼儀上一曲は踊らなくてはならないので、親族の中の長老の奥方の手を取り、最初の一曲を踊ってみせた。

けれど、その曲が終わったらそれ以上は踊ろうとはせずに席に戻ってしまった。周囲にいる女性たちの目は『私を誘ってくださらないかしら?』と願った、秋波に満ちていたのだけれど。

やがて頃合とみたのか、王様は立ち上がり、その場にいる人たちにそのまま楽しく過ごすようにと告げて、自室のある奥へと戻っていっちゃった。

王族は臣下たちが居心地悪くならないように、早めに宴会から立ち去るのが慣例になっているけど、こんなに早いのはあまりない・・・・・はず?主人役が客たちを放っておいてるよね?なんて思ったけど、同じことはそば仕えの人たちも考えているみたいで、少々苦笑いしていたみたい。

しょっちゅうやっていることみたいで、あたしのそばにいた人なんて訳知りなのか、『また例の王様の悪い癖が出た』なんて言っていた。

女の子たちは王様が退席したのでがっかりしていたけど、すぐに気を取り直して今度は広場に集っている青年たちに興味が移って次々に誘ってくる相手と楽しそうにダンスしていた。

そうよね、王様を手に入れることが出来ないのなら、ここにいる青年貴族たちだって、じゅうぶん魅力のある結婚相手になれるんだものね。

あたしはというと、儀礼上なのかお情けなのか何人かの男の人が声をかけてきてくれたけど、愛想よくお断りして、そのまま自分の部屋へと退散してしまった。

乳母はあたしが初めての王宮と宮廷の緊張のせいで疲れてしまったのだと思ってくれたらしく、あたしがそのまま早めにベッドに入ると言っても何も言わなかった。

あたしの頭いっぱいに浮かぶことといったら、今日あったあの人のことばかりで、ベッドの中ではたくさん考えることがあったわ。明日薬草園に行ったら、ユーキに尋ねたいことだらけよ!